他の人が書かない洋楽レビュー

音楽雑誌を見ても自分の知りたい内容が載っていないので、自分で書いてみました。

ジョン レノンのソロが意外と売れなかった本当の理由②

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ジョン レノンのソロが意外と売れなかった本当の理由②

ジョン レノンのソロ作品を聴いて彼のファンになったひとはどれくらいいるんだろう。


つまりビートルズを知らずにジョンのソロ作品から聴いてファンになったひと、という意味だが。

多くのひとはビートルズを聴いてから各人のソロ作品に向かうという流れをとっているようにおもえる。

同世代のひとやビートルズに近い世代のひとたちならなおさらこの時系列になりやすいだろう。

ではいまの若い世代の人たちがビートルズを通らず、いきなりジョンのソロ作品から入ることはあるんだろうか。
当然あるはずだ。
ベスト盤も出ているし、よく知られたクリスマスソングもある。Imagineもあるし、Powet to The Peopleや(Just Like )Starting Overのようなヒットもある。

ではそれで彼らがジョンのファンになるのか。
いつもここで わたしは頷けなくなる。
その要因は彼のソロになってからの声によるものだ。

前回はジョンのソロにおけるセールスが案外地味であった要因1を述べた。
今回はその要因2。
ジョン レノンはソロになってから声が変わったという点である。



わたしにとってはビートルズがロックを聴く扉となり、その要因はジョンの声だった。
ビートルズ初期の声(62〜64年)、中期の声(65〜67年)に特に魅力を感じた。


66年にジョンはオノ ヨーコと出会い、ともに音楽作品を手がけるようになる。
そしてビートルズ後期(68〜70年)になると、それまでのジョンの声からすこしはなれた声が聴けるようになる。
発声法が変わり、それに伴い歌い方も変わる。
ここにはヨーコの発声法、歌唱法からの影響が色濃く滲んでいる。

時系列で聴いていたわたしはジョンの声が明らかに変わったことが悲しかった。
当然だがそれまでもジョンの声には変化があったけれど。
声が変わること自体は問題ではない。
良く変わったならいいのだが、声の魅力が落ちたとつよく感じたのだ。
そしてそれは地声の変化というより、発声が変わったことによるものだとおもっていた。

細かく言うと後期は大きな声の変化があるとはいえ、まだジョンに自身はビートルズの一員という自覚があるからなのか、彼本来の発声やヴォーカルスタイルもある程度残しており、ビートルズのジョンとしてなんとかふみとどまっている。
ルーフトップ コンサートでは自身本来の歌唱を聴くことができる。
ただそれまでのジョンとは別人という感覚は
まちがいなくビートルズ後期からすこしずつ熟成していく。

その後ビートルズは解散し、ジョンはヨーコと音楽活動を本格化する。
ファーストアルバム「Plastic Ono Band」ではビートルズ68年の「White Album」に見られたささやくようなヴォーカル、ヨーコに影響された発声、レノン本来の発声と3つの歌唱スタイルで構成されている。
セカンドの「Imagine」も同様。
このあたりは過渡期と言えるのか、自身の声を
残しており、曲によって明確に使い分けている。
なかでもJealous Guy での頼りなくもソウルフルな発声と歌唱はソロになってからジョンがみつけた素晴らしい声だ。
How? での歌唱もなんともヘロヘロな声で弱々しいのにリスナーをはなさない強さがあり、
そこに生まれる真実味はこのひとにしか出すことができない畢生の名演。
この2曲だけでも彼は天才シンガーとしてみなの記憶に残っただろう。

余談だがこのアルバムで特筆すべきは1曲の中で異なる発声を使い分けている点だと思っている。
I Don’t Wanna Be A Soldier Mamaの前半では、声を前に飛ばさないように抑制したような発声でうたい、後半はのどにひっかけたような発声に変化し声も変わる。太い声も聴ける。こうした歌唱の継投は本作くらいしか見当たらない。
またこの曲で耳にのこるwellという単語を最初の一音を強調し、波形の大きいビブラートをかけてウゥェェ〜〜ル と歌う点があるが。
これは70年のシングルPower To The Peopleから本格化した歌唱だ。
ちなみにpowerという単語ではパウェ〜〜と歌っている。両方ともweの部分であり、これはどこかの地方の訛りなのかどうか。
なんにしてもヨーコの影響は感じる発声、発音である。
Oh Well の部分やPower To The People Right Onのようにwellやpowerをのばさないメロディのところは素直な発音である。
のばすとリズム的に間に合わないからである。

すばらしい声が聴けるものの、本作でのジョンのいままでとは別人という感は
より強くなってきており、聴き馴染みのある彼の声が聴けるのはわずかである。

サードアルバム「 Sometime In NewYork City」からヴォーカルにそれまでの使い分けがほぼみられなくなる。
そしてシャウトを避けるようになる。
Woman Is The Nigger Of The World でそれが顕著だが、コーラス部の本来ならシャウトしていたであろう部分を高音で歌っているのもヨーコの影響下にあるといえそうだ。

なんだか自身の本来の声をなんとか出さないようにしているそんな趣きがある。
Sunday Bloody Sundayでの高音(hey heyやalright、do it)などの部分は特にヨーコを意識しているように感じる。
Woman Is ・・・のアウトロでも高音をシャウトせずに歌おうとしているので、
声がひっくり返りそうになっている。
これはソロになってからのジョンの特徴のひとつで、高音時にのどを開ききらずにうたうことでこうなってしまうのだろう。
少々弱々しく感じてしまい、このあたりはヨーコの影響によるフェミズムもあったのだろうか。
男らしいマッチョなヴォーカルを避けようとする風情がこのアルバムからはっきりしてくる。
NewYork Cityでもすこし声を高くして歌うことで、かわいいかんじの声になってしまうので、いまいち迫力がない。
72年のワン トゥ ワン コンサートで同曲を披露した際は、地声でもっと太い声が聴ける。
この声の方がずっとワイルドでロックンローラー然としている。
だが彼はこの声があまり好きではなかったのだろうか。
ライヴの場では声をコントロールしすぎると声量が落ちてしまうので、地声で歌ったのだろう。



ヨーコの発声の種類はいくつかあるが、ジョンの取り入れ方というのはヨーコの発声をそのまま真似たものではなく、エッセンスを真似たものだ。

彼女の発声は 変な声という形容があてはまるとおもうがいかがだろうか。
歌唱時の発声は意外にも変な声ではないのだが、例えばスクリーミングや意味を為さない奇声を連続して小刻みにだしたりする際の声は実に独特だ。
ソロになってからのジョンはまさにそうした変な声と形容されるであろう発声を意図的に自身の歌唱に取り入れることで、ヨーコの影響を昇華している。
風変わりな声で歌うことでヨーコっぽさを演出していると言った方が的確だろうか。

アウトテイクでも聴けるが、ビートルズ在籍時からジョンはそうした風変わりな声が出たようだ。
ただしバンドのイメージもあるのでその声では歌わなかったのだろう。

ヨーコと出会い、表現者として制約を設けずにさらけだす、という意識がめばえたのが大きく、ソロになってからの彼の歌声は、まるでヨーコになろうとしているかのようにわたしにはおもえる。
ヨーコの影響とフェミズム。
ロックと女々しさの結びつきというのはいつの時代でもかたちを変えて現出する。
それはロックの美意識の究極とも呼べる。

もうひとつ。

よく知られたはなしだが、ジョンは自身の声が嫌いだったから、というもの。

つまり自身の声が嫌いであらたな声を探していたジョンが見つけた理想形がヨーコの風変わりな声だった。
これも彼が発声を変えるきっかけとなったのではないか。
Bob Dylanの影響もあったかもしれないが、それ以上にヨーコの影響が大きいように感じる。
さまざまな要素が集まってジョンは声を意識して変えるようになった。

73年「Mind Games」では声の使い分けは多数あるのだが、そのどれもが彼本来の発声ではない。
わずかに声を上げて声質を変えていたり、声を前に飛ばさないような歌唱も以前とすこしちがう。
総じてアルバムImagineのときと近いだろうか。そもそもMind GamesはImagineの続編のようなアルバムだ。
特に前半の並びは意図的だ。

1曲目 Imagineにあたる理想をうたったものとしてMind Gamesがあり、
2曲目 アップテンポのカントリーCrippled InsideとロカビリーナンバーTight Asはヴォーカルスタイルを小馬鹿にしたような歌い方であわせている。
3曲目 Jealous Guyに対しておなじくソウルフルなバラッド Isumasenを置いている。
ヴォーカルスタイルも共通だ。
4曲目はブルーズのIt’s So Hardで、対するOne Day(At A Time)もジャズっぽいブルーズだ。
5曲目はI Don’t Wanna Be A Soldier Mama、Mind GamesではBring On The Lucieと社会派ソングが対応している。

明らかにジョンがアルバムImagineの感触の再現を狙ったものだと推測できる。
Mind Gamesではセールスの回復が大前提だったためであるし、
歌い方もImagineに合わせにいったのではないか。

一方Only Peopleのアウトロにおける高音は
本当にジョンか?とおもわせるほど別人感のつよい声だ。
ただしとても強烈な発声で、出そうとおもえばいつでもつよいヴォーカルはとれたのだろう。
このあたり、やはりのどの使い方が天才的なひとだったのだと実感。
アンソロジーで聴くことができるBring On The Lucieのアウトテイクでは荒々しくシャウトし、おもいきり声を前にとばして歌唱していることからも、ヴォーカルを入れる際にかなり意識して変えていたのだなと思う。

実際 I Knowの低音のハーモニーヴォーカル、Intuitionにおける低音のバックヴォーカルではビートルズ初期のころと変わらぬ声が聴ける。
そして地声自体は大きくは変わっていなかったことがわかる。
だからこそTight Asのようなロカビリーでのふざけたようなヴォーカル、wellの発音におけるヨーコ感はジョン本来の声を聴かせる機会を損なっており実にもったいない。
well発声時のヨーコ感は75年のBe Bop A Lulaでも確認できる。
ウェ〜ルと最初の一音を強調するパターンと口をほとんど開けずに平たい声でうたうパターンがあるようだ。
Meat City もパワフルなロックンロールなだけに、カウンターメロディの部分で聴かれるジョンの声の勢いのなさとロックンロールぽくない発声が惜しい。ここらにもヨーコからの影響がマイナスになっているんでは。



74年の「Walls&Bridges」では曲によってはそれまでより口をすぼめた声で歌っているが、概ね地声に近い声での歌唱も聴かせている。
これはヨーコとの別居も関係していそうだ。
Bless YouやSurprise,Suprise ではかなりヨーコ的なビブラートをかけているが。
後者の曲ではエルトン ジョンが参加しており、ジョンの節回しがすごく独特であわせるのに苦労した、と語っている。


ソロになってからのジョンの声や節回しにはこうした一般のリスナーには解しがたい要素、ロックのダイナミズムに欠ける部分が増えたため、ヒットしづらくなったことは認めねばなるまい。本来の声で歌っていれば、セールスはちがったことは想像に難くない。
それほど彼の本来の声は魅力を持っていた。

若い音楽ファンはどうしても自身の衝動を投影しやすい声や演奏を好む傾向がある。
そうなると演者の声にも表面的な激しさ、
わかりやすいかっこよさが求められ、ソロになってからのジョンにはそうした面での足りなさがあったと感じる。


ビートルズが解散しソロになったことも
新たな声を使う大きな理由となり、それを機に
彼は新たな自分を生み出そうとしたのではない
か。
ビートル ジョンではない自分を。
だからこそ彼はあの声にこだわったのでは。



75年の「Rock’N’Roll」は録音時期がふたつにわかれているので、明らかな声の違いがわかる。
73年の録音と74年の録音で構成されており、74年の録音は「Walls&Bridges」の声と同じだ。
注目は73年の録音時の声。
時系列でいうと「Mind Games」製作後の声なのだが声の質がまったくちがう。
太く艶があり、まさにロックンロールシンガーそのものの色気に溢れている。
ハンブルグ時代の自分にもどってロックンロールをきめている感がある。

本セッションの編集前のテイクが残っているが、You Can’t Catch Meではリリースバージョンにはないよりハードなヴォーカルをきめており、まるでビートルズの頃のようなシャウトである。Dizzy Miss Lizzyを彷彿させる声で、これが最高なのである。
「Walls&Bridges 」のセッションテープにもジョンがあそびでAin’t She Sweetをビートルズの頃の声で歌っているのがアンソロジーに収録されているのはファンにはおなじみだろう。
やはり出そうとおもえば、74年ですらあの声は出たのだ。74年は酒灼けした声というレビューをよく読んだものだが、あれは意図した声だったのだ。
エルトンとのライヴ時もビートルズのころの声と74年の声を使い分けている。


80年の「Double Fantasy」では少々声を変えて歌っているが、以前より素直な発声に戻っている。明らかにヨーコの影響のもと歌っている部分もあるが。
ソロになってからのジョンの声は一貫してあたらしい声を使い、従来の声をほとんど封印したが、晩年は自身の声をもう一度取り戻そうとしたのではないか。
たとえばNobody Told Meはほぼ地声でうたっている。
ロックンロールをはじめたころの自分に戻ろうと
したのではないか。

生前最期となったフォトセッションでは髪をかきあげ、挑戦的な眼差しを向けるジョンがいる。
ここには愛と平和の使者 ジョン レノンはいない。
ロックを聴き、ロックに憧れ、ロックンローラーになりたかったけれどなれなかったすべての者たちの代弁者 ジョン レノンがいる。
まぎれもないロックミュージシャン ジョン レノンがここにいる。
わたしたちが会いたかった本当のジョン レノンがいるのだ。

復帰作は彼の存命中、チャートの1位にはならなかった。だが、彼の声や作品から、ファンは明らかにそれまでのジョンとは違いを感じただろうし、次作もきっと大きな期待を持たれたにちがいない。
しかし 彼は世を去り、レコードは彼が望んだであろうチャートの1位に躍り出る。

振り返るとあれだけ声を変えて歌っても、成立していたのはジョンの地声の良さと、天才的なヴォーカリゼーションかあったからこそ。
並のひとがおなじことをやると悲惨なことになるのは明白だ。
またうわずった声、ときによれよれでへなへなの声、そんな声を強調したヴォーカルが異常なほどの生々しさを生む、そんなロックシンギングを確立したのはまちがいなくジョン レノンだ。
のちの時代のオルタナやUSインディーのミュージシャンたちの分水嶺といえる。

どんなミュージシャンであれ、その作り手が亡くなると、のこされた作品に永遠性が生まれるのは宿命だ。だれにでもあてはまることなのだ。
彼の作品もまた、彼の死によってそうした面が付与された。
しかしそのなかでもジョン レノンの作品は他のミュージシャンと比べても別格の存在となっている。
いつの時代でもその時代に生きるひとびとの共鳴を生む。
時代が変わっても世の中はなにも変わっていないからだ。
だからこそ彼の歌のメッセージは普遍なのである。
ではそんな普遍性の高いメッセージを歌ったのはジョンだけだったかというとそんなことはない。
ジョン レノンがジョン レノンの声で歌ったからこそなのである。
あの声でしか届けられない怒り、悲しみ、寂しさ、ユーモア、ロックンロールがあったからにほかならない。
それに気づき、彼の声の中にそれを見出したとき、
かけがえのないひとを失ったことがわかるのだ。

いまもなお、ジョン レノンのソロ作品は世界の多くの国で愛されている。

彼の声が聴きたいのだ。
そして彼に会いたいのだ。
こうしてジョンのレコードはずっとヒットしているのだ。


ジョン レノン GIMME SOME TRUTH.

本ブログ記事を書いている時点での最新ベスト盤。
活動期間が短かったレノンはシングル曲が少ないため、彼のベスト盤はどうしてもアルバム収録曲が多くなる。
それはこのベストでも同じくなのだが、それでいてベスト盤として成立するのがレノンの際立った点であり、とにかくアルバム収録曲に名曲が多い。
シングルとその他の楽曲でレベルが変わらないことの証明だ。
全シングル曲が収録されてはいないという点はあるものの、それまでのベストには収録されなかった代表的な楽曲が含まれており、それらを最新リマスタリング、さらにニューミックスでの収録となっているのが本盤の独自性だ。
つまりこれを聴いてからオリジナルアルバムに入っても二重買いにはならないので(ミックスが異なるためだ)、はじめてジョン レノンのソロを聴くひとにも悪い選択ではない。
まあ、本来ならオリジナルミックスのベスト盤を聴けばいいのだが、それらはどれもほとんど廃盤状態なので、こうしたニューミックスのベストしかないという現状もあるのだが。
1枚もの、2枚組などバリエーションがあるが、現状ここでしか聴けないミックスなので2枚組を選ぶほうが有利性があると言える。


John Lennon/Gimme Some Truth HMV

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おわり