アイランド以降のトム・ウェイツを好きになる方法。
トム・ウェイツはキャリアも長く、ボブ・ディランやエルヴィス・コステロなど多くのミュージシャンが憧れるレジェンドだが、ベストがあまりに少ない。オフィシャルでリリースされたベストは3枚のみ。
そのうちの2枚、70年代の曲を集めたAsylum Years、同じくAsylum期の曲を集めたUsed Songsはどちらも廃盤。
かと言ってオールタイムベストもリリースされないまま今日に至る。
おそらく本人がベスト盤を出すことに興味がないのだ。まあ文士型のひとなのでわからないでもない。
だからこそ今回とりあげるベストには意味がある。
残りの1枚がアイランドイヤーズをまとめたBeautiful Maladiesである。
これはなんと日本企画。
ベスト盤に消極的なウェイツがよく許可したものだ。
それもトム本人が選曲までしているのだから、日本側の担当者の熱意の賜物だろうか。
それともやるならしっかりとした作品に仕上げたいというウェイツの職人魂か。
どちらにしても単なる本人監修のベストとはワケがちがう仕上がりなのである。
トム ウェイツのかんたんなあらましを書いておこう。
70年代はじめにアサイラムレコードからデビューしたウェイツは都会のうらぶれたブルースやジャズを基調とした音楽性で異端の存在感を放った。
都会の片隅に生きる市井の人々の人生の一瞬を切り取ったような歌詞はときにユーモラス、ときにさみしく、せつない街の物語。
歌の舞台となる土地はロサンゼルスの印象だ。
エルヴィス コステロが言うところのリアルなアメリカを描写したもので、そのストーリーテラーとしての才はランディ ニューマンとも比較された。
アサイラム期のレコードはどれもヒットしなかったが、素晴らしい歌の数々は同業者たちからリスペクトされ、耳のいい音楽ファンたちからも愛されたのだった。
ライヴパフォーマーとしても観衆の爆笑をかっさらうトークにダミ声で歌われる物語のペーソスは熱烈なファンを生んだ。
どのレコードも街の情感、特に夜の雰囲気を濃厚に伝えるもので、そこににじむロマンティシズム、ハートブレイク、センチメンタルな感情は多くのひとの心を撃った。
その後映画監督フランシス F コッポラとの仕事が転機となり、新たな音楽性の開拓につながる。
それまで在籍したアサイラムからアイランドレコードに移籍。
その後リリースされるフランク三部作と呼ばれる作品はジャズ色は大きく後退し、ぶっこわれたブルース、ガラクタのパーカッションによるいびつな音、異物が混入したようなメロディ、地獄から轟くような咆哮と、それまでとは別人のようなものだったのである。
歌詞まで奇怪なものに変容し、ファンは大いにとまどった。
アイランドに移籍してからのウェイツの作風はこうしたアヴァンギャルドなものに変化し、フランク三部作のあとも同傾向の作品を発表していく。
そんなアイランドイヤーズのベストがビューティフル・マラディーズである。
多くのファンがこの変貌にとまどい、ひとによってはアサイラム時代しか聴かないというひともいる。
しかしよく聴いてみるとウェイツの根幹の部分は変わっていないことに気づく。
それはメロディのよさであり、テーマは違えどそのストーリーテラーとしての才であり、歌の主人公ごとにキャラクターが変わる役者としての資質である。
この3要素はウェイツ不変の魅力であり、アイランド以降もアレンジやヴォーカルの毒素のつよさでわかりにくくなっているが、実はこの3要素は消えていない。
トムはわかっているのだ。
そしてこのビューティフル・マラディーズなのだが、単に本人が気に入っている作品を収めたというより、どの曲が上に挙げた自身の核に当たる部分で作られた楽曲なのかをしっかり見極めて選曲しているようにおもえる。
トム ウェイツはだれよりも冷静に自身のペルソナや自身の資質、ファンが求める作品性をわかっているのだ。
アイランドイヤーズの諸作におけるアヴァンギャルドな実験もウェイツはわかった上でやっている。
そう思うとこのひとはディランやボウイとおなじくらいジョーカーマンなのだ。
インタビューでも常に本音は明かさず、はなしを変え、インタビュアーを煙にまく。
そんなウェイツの本音が見えてくるのがこのベストであり、だからこそ大きな意義がある。
収録曲を見ていくと、どれもそのメロディのよさ、毒のあるアレンジにひそむ魔力、自在なヴォーカルがあり、いったんハマるとその楽曲に対する興味が強まって仕方がない。
カヴァーの多さもそれを証明していると言えよう。
例えばラテンブルースの不良品のような(もちろんいい意味で言っている)Temptationはダイアナ クラールが正統派のカヴァーで楽曲の魅力を提示しているし、St.Christopherはロッド ステュワートのR&Bにアレンジしたカヴァーがあり、Downtown Trainもロッドによって大ヒットとなった過去がある。
アサイラム期だけでなく、アイランド以降の作品もカヴァーが多いのは、ミュージシャンとしてカヴァーしがいがある曲ということなのだろう。
アレンジの奥にしっかりと存在する歌としての魅力にミュージシャンたちは気づいているという証左だ。
トムの楽曲は映画に使用されることも多く、収録された曲の中にも映画で聴けるものがいくつか。
黙示録のようなEarth Died Screamingやノスタルジアにあふれた名バラードInnocent When You Dream(映画スモークのハイライトともいえる場面で流れる。)、
こちらも名バラードGood Old World(ジャームッシュのナイト オン ザ プラネット)など、そのストーリーテラーとしての魅力がなければ映画音楽として耐えることなどできない。
ボブ ディランやウェイツが映画音楽によく使用されるのはだれの人生にもあてはまる普遍性が歌の中に存在することと、それを歌う声に真実味があるからにほかならない。
そして奇妙に音がハズれたギター、地下室に潜り込んだかのようなパーカッションの響き、蒸気オルガンの迷路と追走してくる不協和音。
狂気じみたファルセットに地鳴りのような破壊的なダミ声。
これらは単なるアヴァンギャルド遊びでなく、あくまで楽曲に沿ったものであるからこそ魅力を放つ。
トムはわかっているのだ。
そんな中にアサイラム期をおもわせる楽曲がそっと置かれている。
夜の海を行く旅船の上をおもわせる名バラードTimeにおける人生の物語、
名曲Downtown Trainに描かれる夢が雨のように流れていってしまうせつなさと列車の対比、Johnsburg, Illinoisでのまっすぐなラヴバラード、Frank's Wild Yearsでの正統派ジャズに乗せたストーリーテリング。
あのダミ声が詩人の声に、孤独な街の住人に、世の中の無常に傷ついたひとりの男の声に変わる。
アイランド以降の毒のつよい楽曲とアサイラム期を思わせる曲が並列で1枚のアルバムに無理なく存在している。
根底の本質は変わっていない。
これらに気づいたとき、アイランドイヤーズでのウェイツの楽曲はあくまでアサイラム期の曲の変形なのだということがわかる。
ビューティフル・マラディーズはそれに気づかせてくれるベスト盤なのだ。
ラテン、ブルース、ジャズが因数分解されたアイランド以降のトム ウェイツ。
ニューヨークアンダーグラウンドなサウンドがあれば、ダークな世界が広がる曲があり、デカダンスに吠えるブルースの怪人がいるかとおもえば、人生の孤独をかみしめる詩人の姿がある。
とっつきにくさの向こう側には実に正統派なミュージシャン トム・ウェイツの実態がある。
そしてこのベストにはこれが俺だというトム ウェイツの本音が隠れている。
すなわちメロディを重視した楽曲、ストーリーテラーとしての歌詞、さまざまな登場人物に変化する演技者。
そのどれもがトム・ウェイツなのであり、アサイラム期とアイランド以降で俺は別に変わっていないよ、というトムからのメッセージだ。
それをあたまに入れてこのベスト盤を聴くと、
曲の印象が大きく変わるだろう。
アイランド以降のトム・ウェイツが苦手なひとも親近感を覚えるにちがいない。
トムの曲はやっぱりメロディがいい。
そこに気づければこっちのもの。
あなたもトムの理解者だ。
トム・ウェイツ/ビューティフル・マラディーズ
おわり