他の人が書かない洋楽レビュー

音楽雑誌を見ても自分の知りたい内容が載っていないので、自分で書いてみました。

ジョン・レノン | 「イマジン」をクリップルド・インサイドに解説

ジョン・レノンの最高傑作アルバムはどれか?

ひとによってはジョンの魂かもしれないし、もしくは心の壁、愛の橋かもしれない。

はたまたダブル・ファンタジーを選ぶひともいるだろう。

けれどそれはジョンの熱心なファンにとってのそれぞれの最高傑作であり、世間一般に提示するジョンの最高傑作アルバムは、やはりイマジンということになろう。

リリースは1971年、英米ともに1位を記録し、ロングセラーになった作品で、ジョン・レノンの代表的なアルバムだ。前作ジョンの魂に続きフィル・スペクターを共同プロデューサーに迎えている。

なぜ本作がジョン・レノンの最高傑作なのか、ジョン・レノンの凄さとはどういうところなのか、それらの独自性を明確にするのが本記事の題目である。

 

英国制作期のラストアルバム

ところでイマジンという曲単体がここまでジョンの代名詞となった背景はジョンの死後、ヨーコ・オノがジョン=イマジン=平和の使者という連想イメージを徹底的に世界に刷り込んだ結果だ。

まあジョンの終わりかたが悲惨だっただけに平和の使者が凶弾に倒るも平和への願いは終わらずというイメージを持たせたいという気持ちもまったくわからないではない。

しかしながらジョン・レノンの本質は平和の使者ではなく、あくまでロックミュージシャンなのである。

それに反して特にジョンの死後、イマジンの平和ソングとしてのイメージと、それに連ねたジョンの平和のひと、というイメージがあまりに増大し、ジョンのミュージシャンとしての姿を曇らせてしまっているのは皮肉な結果である。

ロックに一家言持たないメディアはそうしたジョンの平和の使者というイメージをそのまま伝搬し続けているから、この流れはそうそう断ち切れそうにない。

いつまでもジョンといえばイマジンだし、愛と平和のキャッチコピーがまとわりつく。

彼らにジョンの失われた週末の実態を聞かせたらどんな顔をするのだろう?

ファン以外のひとはジョンの月の裏側を知ることもなく、今日でもジョンはラヴ&ピースやベッドインやら平和活動のひととして認識される。

テレビの討論番組で政治ジャーナリストがジョンの政治的な曲を強引に引き合いに出したこと、War Is Overをクラス全員で歌わされた自らの体験を思い出す。

彼らはジョンのファンではなく、自らの意見や考え、政治観を正当化するために都合に合ったジョンの曲を持ち出しているに過ぎない。

ジョンの政治的な曲はいいように使われる。

こうしたひとたちまで巻き込んでしまうから、ジョンのソロ期の楽曲というのはなかなか正しくロックファンのもとに届かない。

これはソロ期におけるジョンのジレンマであり続ける。

 

ジョンは亡くなる前にI Don't Wanna Face Itで聖人じみた自身のソロ期における平和活動と自身の本質との矛盾を吐露しているが、この姿こそがずっと素直にジョンらしいとおもえるのである。

そしてジョン・レノンはロックミュージシャンであったことをだれあろう本人が晩年における隠遁の5年間に気づいたということだろう。

 

ジョンは平和の活動家ではなく、ロックミュージシャンであると理解するファンにとって複雑な想いを抱く曲、それがイマジンなのである。

とはいえ音楽的にはソウルなど黒人音楽の要素が強いバラードで、ジョンのソロ期における代表的な楽曲であることは間違いない。

もちろんイマジンが収録されているからこのアルバムが最高傑作だというわけではなく、他の収録曲、演奏、サウンド、ジョンのヴォーカルに当時のジョンの冴えが克明に記録されている。

またサウンドにおける英国の音も本作の特徴にあげるべき重要なものだ。

次作サムタイム・イン・ニューヨークシティは米国に移住してからの作品であり、これ以降のジョンのアルバムはすべて米国制作となる。

本作イマジンはジョンが英国で制作した最後の作品なわけだが(ストリングスやサックスなどはニューヨークでオーバーダビングしている)、この英国録音によるサウンドの陰影が米国制作になってからは消えてしまう。

米国録音になってからのジョンのサウンドは英国サウンド期の抒情、瑞々しさがないのだ。

つまりジョンの英国サウンドとその抒情が聴けるラストアルバムがイマジンであり、その実態は攻撃性と優しさ、弱さと孤独、怒りと憎悪が入り混じったジョン・レノンのヒューマンな傑作であるのだ。

そこには上に書いた矛盾した部分というのも含まれている。

平和を願いながら他人を攻撃する憎悪に溢れた歌が収録されているのはその最たるものだ。

また自身の弱さを露わにした歌もある一方、アルバムに収録された攻撃的な楽曲から感じられる毒、反骨、怒りは強さ以外のなにものでもない。

こうしたいろいろな矛盾がジョンのソロ期には通底しているのだけれど、本作ではその矛盾があくまで人間ジョン・レノンの多面性に繋がっている。

そしてそれこそがイマジンをジョンの最高傑作にした深みの部分なのである。

73年のアルバム「マインドゲームス」ではその多面性は混乱してややパラノイア気味だし、74年の「心の壁、愛の橋」では自身の心の状態や孤独、自虐、自暴自棄を歌うことに特化して多面性は表に出てこないのだ。

 

「イマジン」は矛盾を多面性に置き換え、聴いたひとそれぞれが自分なりに共感できるベクトルが異様に高い。

そしてその多面性はジョンの声による真実味によって生み出されている。

言い換えればジョン・レノンの声の魔力が秘められたアルバムということになる。

ジョンのソロアルバムの中で最もジョンの声が冴え渡った1枚がイマジンというアルバムなのだ。

では以下でイマジン収録曲とジョンの多面性をジャンルに分けて聴いていこう。

 

実は攻撃的なロックアルバム IMAGINE

イマジンというアルバムは大別するといくつかのテーマに分けることができる。

すなわち社会的な楽曲、ポール・マッカートニーへの攻撃、ヨーコへのラヴソング、人生の辛さの4つである。

 

1、社会的な楽曲

IMAGINE

米ではアルバムリリースと同時にシングル発売され、3位。

英ではシングル発売されず。

のち1975年になってようやく英でもシングル発売され6位を記録した。

演奏者クレジットではジョンがPianosと記載されているので、左右から聴こえる2台のピアノはジョンなのだろう。

ギターは入っておらず、ピアノとジョンの声をフィーチャーした仕上がり。

リハーサルではニッキー・ホプキンスとジョンがピアノを弾くことが試されたが、結果ジョンのみが演奏しているようである。

霞がかったサウンドの向こうからジョンのピアノ、ヴォーカルが聴こえてくるそのさまは幽玄と呼ぶにふさわしい。

ドラムスはアラン・ホワイトが担当しているが、この曲も他の収録曲にしてもアラン・ホワイトのタイトなドラムスがアルバム「イマジン」をあくまでロックアルバムにした重要な要素だ。

ジョンはバラードでもこうしたロックビートを求めるひとで、だからこそイマジンもゆったりとしたバラードではなく、ロッカバラードの風合いを持っている。

上にも書いたがソウルやR&B色の強いバラードで、ソロになってからのジョンの曲はビートルズ時代よりストレートに黒人音楽の様式に倣ったものになっているのは興味深い。

♫ Imagine All The Peopleと歌う一回目パートでのpeopleの部分を腹から空気が抜けるような発声で歌うところの風変わりな声が耳にのこるが、こうした発声はジョンのソロ期に多く聴かれるようになる。

ヨーコの歌唱における奇妙な声に触発された結果と言える。

天国も国も所有物もなにもないと想像してみよう、やってみればかんたんなこと、と歌われるこの曲のテーマはAll You Need Is Loveのできないことはできないという考えに反面的に通じるジョンの哲学だ。

 

しかしながら文化や宗教、所有物、さまざまな人種の背景となるものをとっぱらえば世界はひとつになるというイマジンの理想郷はユートピアそのもので具現性は持っていない。

社会主義を拡大解釈したこの歌は、歌詞の中に飢えの心配やそれによる死を恐れなくてもよい世界、ぼくらはみな人類の仲間、といっただれもが納得する最大公約数の歌詞を入れることでうまく社会主義的側面をぼかし、イリュージョンの普遍性を映し出している。

 

I DON'T WANNA BE A SOLDIER 

兵士になりたくない、死にたくないというフレーズを核にしたナンバーだが、兵士の悲哀に特化した歌ではなく、ジョンがなりたくないものを列挙した歌詞となっている。

フレーズごとの連続性はなく、なりたくないものの箇条書きのような歌詞である。

その中で兵士になりたくない、死にたくないというフレーズをフィーチャーすることで、

ベトナム戦争下に前線に送られ命を散らす兵士がいかに哀れであるか、それを推し進める存在としてのニクソンがいかに憎むべき対象かというジョン自身の主張を押し出す結果となっている。

その意味でニクソン批判、ベトナム戦争反対の歌なのではあるが、同時に弁護士になりたくない、嘘をつきたくない、という節や金持ちになりたくない、という部分には知識階級や権力を手にした人々への侮蔑、攻撃も含まれている。

要はニクソンをはじめとしてジョンから見た偉ぶった人々への攻撃、と取るのが妥当か。

 

棘棘しいサウンド、ジョンの不穏なヴォーカル、怒り、憎悪を増幅させるようなエコー、ディレイによる音像は生々しい切迫性を持ち、本作でのハイライトと言える出来栄えだ。

ジョンのギシギシとしたギター、ジョージ・ハリスンのスライドギターは暴動のBGMかの如く鳴り響く。

ニッキー・ホプキンスのキーボードリフは執拗に繰り返され、ジョンの憎悪がニクソンや自身の意に沿わない世界の在り方にまとわりつくようでなんとも不気味。

バチバチとハネるドラムスはジム・ケルトナーで暴発寸前のような緊張感を出した名演だ。

本作のドラマーはアラン・ホワイト、ケルトナー、ジム・ゴードンだが、いずれもタイトなドラマーであり、この人選は偶然とは思えない。

ジョンが本作に望んだのはやはりこうしたタイトなロックビートだったことがわかる。

間奏でのキング・カーティスのサックスは混沌と混乱を混ぜたこれも名演で、音像に見事にハマっている。

ジョンのヴォーカルは最終ヴァースでビートルズ時代の頃の声を聴かせており、この尖った声は絶品である。クライマックスに向けて高揚していく感がたまらない。

ロックとファンク、ブルースが混じり合ったソロ最高傑作トラックのひとつだ。


GIVE ME SOME TRUTH

これもニクソンへの批判と見ることができるTricky Dickyというニクソンをばかにした呼び名を含む攻撃的なナンバーだ。

いまの時代なら物言いがつくであろう強烈な言葉を用いてニクソンをはじめとした権力者、政治家、上流階級の人々や旧世代の人々をこきおろしている。

曲としてはジョンのソロワークにおける最高作品のひとつで、メロディのよさ、歌詞のラップのようなリズム、幻惑するギターリフ、ジョンのシャウトヴォーカルなどジョン・レノンの才気が炸裂した仕上がりだ。

ジョンのヴォーカルは毒毒しく歌うヴァース部とシャウトを聴かせる中間部、およびアウトロで構成されているが、どちらもビートルズ時代の声で歌われている。

ソロ期に多く聴かれる喉で歌う声ではなく、腹から声を出すヴォーカルなので凄みのある声だ。ソロ期でのベストヴォーカルに入るであろうパフォーマンス。

そして間奏のギターソロはジョージ・ハリスン

ジョージのギターソロの中でも屈指の名演と言えるソロである。

スライドギターのサウンド、メロディ、リズムのタメなどどれも絶品。

このソロがなければ曲の良さが半減してしまうだろう。

それほどに曲の印象を、クオリティを上げたギターソロだ。

ジョンのソロワークを代表する名曲と言える。

以前はGIVE ME SOME TRUTH 表記だったのが、リミックス盤のリリース時にGIMME SOME TRUTH 表記となり、以降それが定着している。

本稿ではオリジナルリリース時の曲名で記載している。

 

2、ポール・マッカートニーへの攻撃

CRIPPLED INSIDE

サンフランシスコ・ベイ・ブルースを元にしたカントリーブルースっぽいナンバーだ。

教会で讃美歌を歌うこともできるし、死ぬまで嘘をつき続けることだってできる。

だけど君のおかしくなった心は隠すことはできないんだと歌う痛烈な歌詞を持つ。

マッカートニーへのあてつけという説があるが、たしかにポールを揶揄しているようにも感じる。

イマジンのインナースリーブにはジョンがポールのアルバム「ラム」のジャケットをパロディにした写真が載せてあるが、これを友好的なパロディと受け取るのは困難だ。

こうしたことから逆算してもポールを対象にした攻撃と取るのが妥当だろう。

ただ結果としてはポールへの攻撃だけに終わらず、いい気になって生きている傲岸な人々全体に向けての皮肉になっていたり、歌詞の一部には人生を生きるやるせない嘆きが読み取れるなど、個人攻撃の歌に収まらない広がりがある。

こうした作詞センスがジョンの真骨頂であり、次作サムタイム・イン・ニューヨーク・シティで欠落してしまった部分だった。

ジョンはエレクトリックギターでカール・パーキンスっぽくプレイし、ジョージ・ハリスンドブロギターでスライドを披露している。

ここでもジョージはオブリガード、ソロともにメロディックで秀逸なプレイを聴かせている。

そしてこのソロもジョージのキャリアを代表する名演。

エンディングでのリードギターもジョージのLIVING IN THE MATERIAL WORLDを思わせるビッグエンディングだ。

CRIPPLED INSIDEのこの終わり方は案外ジョージの発案によるものではないかと推測できる。

そして後半のニッキー・ホプキンスのピアノソロも曲調に寄り添った素晴らしいプレイ。

ドラムスは入っていないが、アップライトベースの弦をドラムスティックで叩いてパーカッション代わりにしている。

ジョンはうわずった声でどこか小馬鹿にしたようなヴォーカルを聴かせている。

エンディングの♫ crippled insideと歌うcrippledの部分では上に書いたIMAGINEのpeopleと歌う部分で聴かせたのと同じ奇妙な発声だ。

毒々しいこどものような声で、その無邪気さにある種の不気味さを感じさせる。

 

HOW DO YOU SLEEP?

露骨にポールを攻撃した曲であり、ジョンのソロ作中で最高のヴォーカル、最高のトラックをつくりあげた名曲だ。

当時レゲエにハマっていたジョンがコーラス部でレゲエっぽくしようとしたのはドキュメンタリー映像にも記録されているが、結果としてはレゲエっぽさよりブルースっぽさのほうが全面に出た仕上がりと言える。

出だしからサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのオープニングにおけるざわめきを悪意たっぷりに模したイントロが始まり、それを突き破ってサージェントペパーズの成功はきみには驚きだったんだろとジョンの棘のある声が刺してくる。

その後もポールへの痛烈な言葉が続く。

ただこのイントロやサージェントペパーズはきみにとって驚きだったんだいう部分でジョンはサージェントペパーズがポールの主導で制作されたこと、圧倒的な作品であることを認めてしまった恰好だ。

言わばポールへの称賛にもなってしまっており、こうしたところがこの曲をただの悪口ソングに終わらせない。

とは言え、この曲のジョンのポールへの憎悪、恨みはブラックユーモアと取れるものではない。

ビートルズ時代にメンバー間でポールをからかうときの常套句だった眠れたか、ポール?というジョークをまったく別の意味で使っている。

ポールをイエスマンをはべらせた間の抜けた自惚れ屋と捉え、よく眠れるもんだな、といった意味合いだ。

とんでもなく強烈な攻撃ソングだが、その歌詞の見事さは一級品でよくもまあここまで辻褄を合わせることができたものだと感服する。

Yesterday からポールのシングルAnother Dayを用いたとんちめいた表現、ポール死亡説、奥方リンダへの言及、ポールのソロ作品への嘲笑までをフォローし、きみはビートルズ時代になにも学ばなかったんだと締めくくる。

それを歌うブルージーなヴォーカルはドライアイスを触ったときのような冷たい熱さで恨み、鬱憤、憎悪を伝えてくる。

演奏面ではジョンのハネるリズムギター、ジョージの卓抜したスライドギターがここでも相性の良さを見せる。

ジョージのストラトによるスライドはやわらかくもすこし歪んだこれぞジョージ・ハリスンのギターサウンド

オブリガード、リフともにこの傑作トラックの顔といえるほどの大貢献である。

ジョンの怨念を代行したような素晴らしいソロも鈍い光を放つナイフのきらめきの如く。

ソロになってからのジョージはジョンとバンドをやればよかったのにとおもわずにいられない。

ジョンが英国に居続ければもっと共演があったかもしれないが。

バッキングではニッキー・ホプキンスのピアノがこれもまた秀逸。エンディングでのソロも暗いメロディがねっとりと続く。

これはフェイドアウトで大正解だ。

アラン・ホワイトのロックビート、引き締まったハイハットの音はここでも安定の仕事振り。

そして特筆すべきはアウトロの生暖かいストリングスの質感。

メロディ、サウンドともに絶品である。

本作「イマジン」での出色のストリングスはTorrie Zitoが手がけ、Roy Sicala、Jack Douglas、Shelly Yukusらがエンジニアを担当。

ソロ期のジョン・レノンは明るい曲調よりこうしたマイナーキーに強い楽曲を残した印象があるが、それを代表する楽曲である。

 

3、ヨーコへのラヴソング

JEALOUS GUY

ニッキー・ホプキンスのピアノ、ジョンのアコースティックギターストロークがどこか幻想的な響きを持つジョン・レノンの名バラードだ。

ハーモニウム、鉄琴も使用され、フィル・スペクターによる厚く、霞の向こうから聴こえてくるような音像が曲調にピタリとハマる。

ここでのジョンのヴォーカルはなんとも頼りなく心細げな声だ。

CRIPPLED INSIDEと同じく高めの声で歌っているが、それがいっそう不安定さを演出する。

ところがこのあたりの直感力というのか、こうしたヴォーカリゼーションは聴き手側の胸の奥に伝わる真実味がある。

イマジンからジョンが多用するこの高めの声は喉をしぼって意図的に出しているものだが、これは自身の声を嫌ったジョンが見出した歌唱法で、表層的には弱々しいのだけれどソウルフルという異次元のヴォーカルだった。

弱々しいのにソウルフルというこの逆説的な歌唱はそれまでのロックシーンにはなかったヴォーカル表現で、こうしたところがジョン・レノンのすごかったところであり、天才シンガーと評される理由の確かな一端だ。

のちのインディーやオルタナにつながるヘロヘロなヴォーカル、そこに宿るリアルという概念を最も早い時期に、かつ最大限の効果を持って表したのがジョン・レノンだった。

この曲もまたソウルの影響を感じるブラックミュージック的バラード。

ダニー・ハサウェイのカバーもよく知られるが、黒人ミュージシャンとの相性の良さもよくわかる仕上がり。

ビートルズという枠から逃れ、ソロではジョン自身の本来的な音楽の資質が出るようになるが、それが黒人音楽だったというのは音楽マニアのジョンらしいところだ。

ソロ以降のポールは黒人音楽からの影響もあれば、他のジャンルからの影響もみせたりさまざまで、アプローチに関してはビートルズ時代から変わらない。

ジョンは黒人音楽一貫!という趣きで、それはアルバムを重ねるごとに強くなる傾向を見せた。

そしてこの曲でもストリングスが出色。

間奏のジョンによる頼りない口笛とこのストリングスの対比がなんともドラマティックだ。

まるで映画のワンシーンのようである。

 

OH MY LOVE

ジョンとヨーコの共作とされるマイナーキーのバラードで、メロディの良さが光る。

東洋的なマイナーの旋律はヨーコが多用するメロディ感覚だが、♫ everything is clear in our worldの部分のようにシンコペーションを用いない歌詞の載せかたは素人っぽい味があり、このあたりはヨーコによる作風ではないかと感じる。

先に書いたがジョンはマイナーキーに強く、このバラードでも相性の良さを見せる。

特にコーラス部はのちのONE DAY (AT A TIME)やNOW AND THENにもつながる泣きのメロディで、アルバムを引き締める役割を担う。

ジョンが夕暮れの部屋でひとりぼっちでピアノを弾いて口ずさんでいるような虚空を感じるサウンド

そこに潜む内省世界は前作ジョンの魂と共通するぽつねんとした質感がある。

この感覚はジョン特有のもので、アルバム「マインドゲームス」のジャケットにも表れることになる。

ちなみにオアシスのWHATEVERのジャケットはマインドゲームスへのオマージュ。

ビートルズフリーク、レノンフリークの面目躍如といったところ。

さてこの曲がジョンの魂と異なるのはニッキー・ホプキンスとジョージの参加。

ホプキンスのクラシカルなピアノは優雅で、それでいて淋しげ。曲にぴったりのジャストなプレイ。

このひとの演奏のおかげで多くの楽曲が名曲として世に送り出されたのだと思うとロックシーンにおけるニッキー・ホプキンスの功績を讃えたアンソロジー的な一大プロジェクトがあってもいいのだが。

ジョンはニッキーのバックでコード弾きのピアノをプレイしているが、ニッキーは手数の多いメロディ弾きゆえにコード弾きは少なく、それにより音の線はやや細くなる。

そこでジョンがコード弾きでゴン!という厚みを出しているのだが、これによって繊細さとロックサウンドの双方をカバーしている。

イマジンでも複数のピアノで中音域のゴォォンという迫力のあるサウンドをつくっているが、イマジンというアルバムは意外にも分厚く迫力のあるサウンドがつくられており、特にバラードナンバーにこそ、そうした厚い音が用いられているのがおもしろい。

ここにロックミュージシャン ジョン・レノンの矜持を見ることができる。

イマジンはロックアルバムなのだ。

そして一級品のサウンドアルバムでもある。

ジョージはと言うと、曲の核となるコードフレーズを持ったコードプレイを聴かせている。

このギターサウンドがこれまたジャストな音でこの人のサウンドメイクのすごさはもっと知られて然るべきだ。

イントロ、アウトロで特にフィーチャーされるこのプリングオン・オフによるフレーズは曲に溶けこむというテクニックであり、難しいパッセージを弾くこととはまた異なる高次のテクニック。

IN MY LIFEやDON'T LET ME DOWN に通じるジョージのフレーズのつくりかた、である。

ひとりごとのようなジョンのヴォーカルには愛しいひとに出会えた喜びより、それがために失うものを持った痛みを感じさせる。

 

OH YOKO!

アコースティックギターストロークとニッキー・ホプキンスのピアノが曲をひっぱるアップテンポのナンバーだが、マイナーキーであることからここでもジョンの声に潜む悲しみ、さみしさが溢れる。

楽観的なラヴソングではなく、性急でおもいつめたような切迫した感がある。

ジョンのヴォーカルは例の高めの声で、弱々しさ、不安定さが返ってヨーコへの希求を表出している。

間奏前のRight!の一声もひっくり返る手前のような高い声でジョンの高揚したさまがはっきりと記録されている。

リズミックで小気味良いドラミングに乗って演奏される間奏のジョンによるハーモニカが胸を打つが、とりわけアウトロの左右にパンしながらフェイドアウトするハーモニカに聴き手の時は止まってしまうだろう。

ジョンのヨーコへの愛はこれほどまでに狂おしいものだったのかという想いだけがあとに残る。

 

4、人生の辛さ

IT'S SO HARD

B.B.KINGが歌えばハマりそうなブルースナンバーだ。

ジョンはビートルズ時代の発声でクールな声、がなり声、荒げた声とシンガーとしての力量を存分に発揮。

実に色気のある声である。

 

ここでのドラムスは名手ジム・ゴードンが担当。

ギターはジョンのみで、リズムギター、リフ、ギターソロと珍しくすべて自身で担当している。

演奏がおわった直後にギターフレットに置いた指をハイフレットに向けて上昇させる音もクール。このあたりはセンスの領域。

キング・カーティスのサックス、ストリングスにはニューヨークの香りが立ちこめる。

ニューヨークでオーバーダブしたからだと言えばそれまでだが、とても雰囲気のあるサウンドで、ここでもサウンドメイクの妙を感じることができる。

イントロのギターもけたたましい車のクラクションをおもわせる。

都会的なブルースナンバーだ。

歌詞はと言うと、人生ではやらなきゃいけないことばかり。時に落ち込んじまう、といったものだが、ジョンは楽観的な歌詞より、こうした嘆きや悲観的な詩を歌うときのほうが等身大の魅力を放つようにおもえる。

 

HOW?

ジョン・レノンの悲嘆的な面、繊細な部分が出たこれも内省的な名バラードであり、ジョンのソロワーク中でも随一の美しいメロディを持った曲だ。

イマジンのやればできるという楽観とは真逆のできるわけがないという諦観が歌われたこの作品には前述のジョンの矛盾が表れている。

ただし中間部での人生は長い、だから強くならなければいけない、世界はあまりに屈強だから、もうたくさんだとおもうときだってあるんだといった歌詞はどこか救いを感じさせる。

この曲が悲嘆的なのに明るさを持っているのはこの救いがあるからだろう。

ジョンの個人歌から翻って似た感情を抱いたことのあるすべての聴き手と共感を分け合う歌に昇華されている。

ジョンの矛盾はジョンの多面性へと聴き手の内部で変化するのだ。

そしてそれを歌う声である。

JEALOUS GUYでの歌唱と同じ高めの声でのヴォーカルはヘロヘロでなんとも弱々しい。

♫ I Ain't Never Hadの部分の高音はひっくり返りそうで一層弱々しさと悲痛な感が強調され、鼻にかかった奇妙な声がそれをさらに助長する。ビートルズのジョンとは別人のようである。

ところがこの弱々しい声が歌詞の世界と合わさって聴き手にジョンの実感を伝えてくる。

この実感の部分がジョンのヘロヘロの声に潜む強さを感じさせるのだ。

 

この曲ではイントロなしにいきなりジョンの声が飛び込んでくるのだが、それも声の力がなければ成立しない。

ジョンは自分の声は嫌いだったが、自身の声の力はわかっていたのだろう。

余韻を残すヴァース部分の歌い方、中間部の自身に言い聞かせるようなヴォーカルなど声の魔力を聴かせる。

曲としてはソウルやR&Bバラードにあてはまるものだが、この白いソウルとも呼べるジョンのバラードはいつか黒人シンガーのカバーを期待したい。

ピアノはジョン、ドラムスはアラン・ホワイト。流れるようなストリングスも最大限の効果を見せる。

空間を活かした演奏もジョンの魂の要素を残す。

 

黄金比のヴォーカル

以上がイマジンの収録曲すべてである。

あらためて全体をみてみると

攻撃的な歌詞を持つ曲が多い

厚みのあるロックサウンドを持ったバラード

優れたサウンドメイク

真実味を感じさせるヴォーカル 

これらが際立った特徴と言えるだろう。

実は攻撃的なロックアルバム、これが「イマジン」の正体だ。

特にロックではない曲にこそロックなサウンドというのは実に老獪でマニアックな手法である。

だからこそフィル・スペクターに声をかけたのだろう。厚みのある中音域のサウンドは本作におけるトレードマークである。

 

またジョンのコンポーザーとしての才能もわかりやすく提示されたのが本作だ。

ジョンの曲はシンプルなものがほとんど。

シンプルな楽曲はメロディの良し悪しがはっきり表に出るものだが、ジョンの曲は出来不出来というものをあまり感じさせない。

どれもクオリティが高く、またシンプルな楽曲だからこそシンガーとしての力量もはっきりわかる。

「イマジン」ではジョンが優れたコンポーザーであること、不世出のシンガーであったことを証明しているのだ。

そのシンガーとしての声の魔力によって矛盾を多面性に昇華することができたのは先に述べた通り。

これはジョンがヨーコの歌唱に影響を受けながらも自身の本来のヴォーカルをしっかりと維持したその絶対のバランスがあったからに他ならない。

しかしながら次作サムタイム・イン・ニューヨーク・シティではヨーコの歌唱に影響を受けすぎ、そのバランスは崩れてしまう。

その結果ジョンは自身のヴォーカルを失ってしまい、以後それは最後まで戻ることはなかった。

ジョンのヴォーカルが良かったのはビートルズ中期まで、という意見はよく目にするが、私としてはジョンのヴォーカルがすばらしかったのはこの「イマジン」までだったとおもっている。

ジョンがソロになって以降、ヨーコの影響もありながら自身のそれまでのヴォーカルを維持し、新たな声までもを手にしたこの絶対的バランスは本作が最後になってしまうからだ。

「イマジン」がジョンの最高傑作であることの要因、言いかえればジョンの他のアルバムとの決定的な違いはこの黄金のバランスがある、という点なのだ。

 

最後にイマジンのジャケットについて書いておこう。

どこか物憂げなジョンのポートレイトがよく知られているイマジンのジャケットだが、この風情はビートルズ・フォーセールのジャケットでのジョンに通ずるものがある。

ビートルズ解散、ポールとの決別、ひとりでヒット作をつくっていかなければならない重圧。

ジョンの心の顔が映しだされているようにもおもえる。

そうした点も含んで、イマジンはジョン・レノンのヒューマンな名作であり、最高傑作と呼ぶに値する深みがある。

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