ボブ ディランは歌わなくなった。なにかしらの理由で歌わなくなった。特にライヴにおいては。
ラップでも語りでもない半端なボイス パフォーマンスしかしなくなった。それでも熱烈なファンは喝采だ。
ところがBlowin’ In The Wind 2021 recorded ヴァージョンではまるで60年代の頃のような歌声をきかせている。
つまりライヴにおけるあのパフォーマンスは意図したものだということだ。
いつ頃からだろう。
ボブがライヴでメロディをうたわなくなったのは。
2010年からだったろうか。
それは意図して声をつぶし、言葉を吐き出すもので がなった語りのようだった。
素直な発声でうたえば以前のような声もでるはずだと確信していただけに、なぜこんなヴォーカルを標榜するのだろうと疑問でしようがなかった。
声がつぶれすぎて音程を聴きだすことができないのに、この頃からリズムもあえて崩すようになったので、ラップのようにリズムでノセることもむずかしくなったようにおもう。
ディランのヴォーカルはもはや歌唱といえるものではなく、熱烈なファンのみが許容できるものになっていた。
ディランを知らないひとがあのヴォーカルを聴いてもそのひどさに唖然とするだけだったろう。わたしにとって当時のボブ ディランは裸の王様に見えた。
実際のところ、2010年頃からのディランのヴォーカルに心から共鳴していたひとは少ないのではないか。
自分の本当の感想を偽って無理をしていたひとも多いのではないか。
ディランのファンは熱狂的なひとが多く、だからこそあのヴォーカルパフォーマンスでも一応の成立はしたのだと感じる。なにをしようが喝采が待っているのだから。
ボブ ディランは60年代にラップのようなヴォーカル、ハーフスポークンと呼ばれる歌唱を広めたひとだ。その後ルー リードやマーク ノップラーなどディラン系ともいえるハーフ スポークンなヴォーカルスタイルが出たことからもその影響の深さを感じることができる。
当時のボブのハーフスポークンはラップのようでいて、絶妙にメロディックだった。
おもうにそれがウディ ガスリーのスタイルを発展させたボブ ディランの発明だった。
ところが2010年からのヴォーカルには、 そうしたメロディックさがなく、まるでトム ウェイツに憧れてなりきっているように見えた。
ただウェイツの場合はどれだけがなってもピッチははっきりしており、そこが決定的なちがいだった。
そんなボブのライヴでのヴォーカル スタイルは
その後何年も続き、ついにはアルバムでも
そうした声を使うようになる。
クリスマスアルバムやTempestといった作品で顕著だ。
喉に負担が来るから、もっと年齢を重ねたらこの発声はキツくなるんでは、、、とおもいながらも以前のような歌い方はもうしないのかとあきらめかけていた。
ところがボブ ディランは唐突に フランク シナトラのカヴァーアルバムを発表する。
そこでのヴォーカルは実にクルーナーで、
メロディもしっかりと歌っていたのだ。
何年もの あの破滅したようなヴォーカルは
やはりフェイクだったのだ。
声がヨレたり、音程が危ういところはあるものの、ずっと素直な発声で深みのあるヴォーカルだった。
ここからボブのヴォーカルは少なくともアルバムでは復活したようにおもう。
近年の大傑作 「Rough & Rowdy Ways」でも
メロディックなヴォーカルに本来の声を伴った
素晴らしい歌唱が聴ける。
ライヴではやはりメロディは極力避けていたけれど、声の出しかたはクルーナーなものになっていた。
それは冒頭にあげたBlowin’ In The Wind 2021
でも同様。
しっかりとメロディをうたい、母音を伸ばす
そのスタイルはまるで60年代のディランに戻ったよう。
以前のように意図的に声を荒げるのではなく、
ところどころ自然に声がかすれる。ここに技巧を超えた歌唱力が表出する。
ボブ ディランは言葉を歌うことができるひとなのだ。
この音源は決してハイクオリティなサウンド
ではない。
どちらかというとロウなサウンドだ。
不思議なことだが、このサウンドが生身のヴォーカルを際立たせている。
このあたりがロックのおもしろいところだろう。
そういうことを教えてくれたのもディランのオフィシャルブートレグ シリーズだったことをおもうと、このひとはこうした自然体にこそ最大の魅力を発揮するのではないかと思わされる。
ブライアン ウィルソンの80歳を祝うディランのHappy Birthday もYou Tubeで聴けるけれど、ここでも等身大の声で愛情たっぷりに歌っている。
アコースティックギターを抱えるディランが
ブライアンにおめでとうと歌う。
そして最後にニヤリ。
ロックをすきになってよかったと心から感じる瞬間だ。
2022年のライヴツアーの音源を聴くと、ライヴでは声の出しかたは素直な発声ではあるものの、あいかわらずメロディはあまりうたっていない。
なんとかしてうたわないようにしているような印象を受ける。うたってたまるか、とすらおもえる徹底である。
それは加齢からうたうことがキツくなっているということもあるのかもしれない。
だが一方で主に60年代の曲をとりあげた配信ライヴShadow Kingdomでは絶品のヴォーカルを聴かせており、あれから察するにメロディをうたうことが加齢からキツくなったとは到底おもえない。
声のはり、太さ、艶、そのエモーショナルな歌唱は実に余裕があり、堂々たるものだったからだ。やろうとおもえばいつでもうたえるという強い余韻を残す名演だった。
とすると近年のライヴヴォーカルにもディランなりの狙いがあるのだろう。
複数公演を聴くとわかることだが、ラップにも語りにもなっていない半端なボイスパフォーマンスではあるものの、どの公演でもほぼ寸分違わず同じようにヴォーカルを披露しているからだ。
たまにアドリブが多い日はメロディを多くうたっていたり、声の出しかたが違っていたりするが、ほとんど同じようにパフォーマンスしている。
ここからわかるのは、ディランの驚異的な再現能力であり、それはまたうたえるからこその再現能力ということだ。
ひょっとすると彼がよく聴いているというエミネムやウータン クランからの影響をディランなりに咀嚼しようとしているのだろうか。
意図は誰にもわかるまい。
それにしても ボブ ディランというひとは
いつまでもジョーカーマンなのだ。
それも等身大のジョーカーマンだ。
急にまたライヴでメロディをうたいまくるようにだってなるかもしれない。
いまのディランのライヴアレンジはかなりゆるいけれど、これだって以前のような明確なそれにもどすかもしれない。
ギターにもどるかもしれない。
だれにもわからないことなのだ。
これだからボブ・ディランはおもしろい。
これからボブ・ディランを聴いてみたい
人に最適なアルバム
ディランを聴いてみたい、もしくは聴いてみたけど全然わからんかった・・・というそこのあなた。
それは日本のリスナーの多くが通る道。
入るアルバムが違えば驚くほど印象が変わる。
以下に紹介するアルバムは聴きやすいのでおすすめ。
歴史的名盤はあとからじっくり聴き込むために
取っておいたっていい。
BOB DYLAN | SHADOW KINGDOM
上に述べた配信ライヴの音源がリリース。
間違いなくキャリア最高作の仲間入りを果たすであろう内容。
最高の楽曲。すばらしいアレンジ。
なによりそのヴォーカルがすばらしい。
老境のいまも悠然とした佇まい。
声を張りあげるわけではないのに、圧倒する凄み。
前人未到のロック詩人ボブ ディランがここにいる。
かなりメロディックに歌っているので、フジロ
ックでディランってなにがすごいの?どの曲
歌ってるのか全然わからんと思った人にはうっ
てつけ。
ボブ・ディランの歌の上手さ、曲の素晴らしさがよくわかるアルバムだ。
THE BEST OF BOB DYLAN
近年に至るまでさまざまなベストが出ているが、2枚組のものも多い。
それに対しこのベストは1枚もの。
だからこそ名曲中の名曲を選りすぐった選曲。そして選者がしっかりとテーマを持って選んだのがよくわかる内容だ。
ベストアルバムは曲が多けりゃいいってわけではなく、あくまで選曲と構成が重要。
ここでそのミュージシャンを好きになるかどうかが決まる。
2枚組のベストによくあるのは曲が多すぎて全体像を捉えにくくなってしまっていたり、聴き手も全部通して聴くのに時間がかかり、疲れてしまうというデメリット。
だからセンスのいい1枚モノのベストは重要なのだ。
簡潔に聴けて、そのひとの魅力も箇条書きのように理解できる。
このBEST OF BOB DYLANは、はじめて聴くひとに必要な曲だけを時系列で並べ、ディランのすごさがダイジェストでわかる仕組みをしっかり構築している。
また97年のリリースだが、実は音質のマスタリングも優れているという点が見逃せない。
鋭利なジャケットもこれぞディラン!の風情。
ベスト盤はジャケットの良さも重要なのだ。
ボブ・ディランのパブリックイメージをうまく捉えたジャケットはこのベスト盤をより魅力的にしている。
英語があまり得意でないひとは、国内盤の方がいい。
歌詞はもちろんわかりやすい対訳が載っている。
歌の内容がわかるとディラン作品は本当に胸の奥に来るのだ。
ボブ・ディランを聴いてみたいけどいきなりオ
リジナルアルバムに行くのは・・・というひと
にはこのベストが最適。
オリジナルアルバムの扉を開く前にノックして
おきたいすばらしきベストアルバムだ。
おわり